中学受験と高校受験どっちがいい?「コスパで考える学歴攻略法」で教育ルートを考える

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藤沢数希著「コスパで考える学歴攻略法」を読みました。結論から言うと、中学受験を考えている方もそうでない方も、一度読んでみると良いのではと思います。受験という狭い範囲だけでなく子供の教育全体を俯瞰して、どういうルートを辿るのが良いのか、考えるきっかけになるのではと思います。

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どんな本かについては、カバーに書かれている紹介部分がわかりやすいです。

子供の教育には多大な費用と時間を割かねばならない。家庭の限られたリソースを使って、いかに効果的に果実を得るか。中学受験と高校受験ではどちらがコストパフォーマンスがいいのか。身も蓋もないが、子供には一流の大学を卒業し、高い年収を得られるやりがいのある仕事に就いてほしい。そんな親心に応えるべく、膨大なリサーチと実体験をもとに、子供が現代の学歴獲得競争で勝ち抜くための戦略を論じる。

つまり、教育論や理想的な教育法といった高尚な(?)話ではなく、あくまで現実的に親としてどういう教育環境の選択をしていくのがいいのかを、その背景の説明とともに論じている本です。

著者は、中学受験・大学受験を経て日本の大学を出たあと海外の大学院で博士課程を取り、海外での研究員を経て再度日本へ帰ってきたという経歴から、日本国内の事情にプラスして外部からの視点も持っているので、海外と対比することによって日本の教育・受験システムの良いところ・悪いところを客観的に指摘されていると思います。

一部内容に踏み込むと、日本の学歴観は卒業大学の偏差値やランキングによって序列・格付けされ、これは専門性が重視されるグローバル経済では異端であり嘆かわしいと論じる一方で、現実論として日本では偏差値の高い大学の方が平均年収が高くなり、格の高い大学ほど学費が安くなるということを踏まえ、個人の選択として日本の有名大学に進学するというのは肯定されています。日本の受験システムの善し悪しは色々あると思いますが、日本で生きている我々はその中で選択をしなければいけないわけで(海外という選択についても触れられていますが)、そういう現実論が語られているのが本書の面白いところだと思います。

ここでは私が面白いと感じた3つのポイントで見ていきます。人によってササるポイントは違うとも思うので、興味を持ったらぜひ本書を手に取っていただければと思います。

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日本の高校までの教育レベルは高い

日本の受験教育が詰め込み型でこれからの時代にそぐわないと言われることは多いですが、学校のカリキュラムについては次のように触れられています。

しかし、じつはこのカリキュラムは世界中の先進国でほとんど同じなのだ。アメリカにはアメリカのカリキュラムがあり(州によっていろいろ異なるだろうが)、イギリスにはイギリスのカリキュラムがあるし、中国にも韓国にも公教育のカリキュラムがあるが、内容自体にそれほど大きな差異はない。
<中略>
しかし、このように学校で勉強する内容は、なぜどこの国でも似たようなものなのだろうか。それはカリキュラムがどこの国でもすべて同じ目的で作られているからである。それはアカデミックな研究者の養成なのである。
<中略>
なぜならば、洋の東西を問わず、大学とは就職予備校ではなく学問をするところであるからだ。

あまり意識したこともなかったのですが、確かに教育の土台が揃っていなければ、大学の側で出身国による振り分けをしないといけなくなりますね。というか逆に、学ぶために必要な知識・学力があることが大学に入る条件であると考えれば、「必要な学力」はどこの国出身だろうと同じというのは当たり前と言えば当たり前です。

つまり、詰め込みだなんだと言われているのはあくまで入試の選抜システムの話であって、学習すべき内容は世界標準であり、大学進学を前提とするなら必要な内容だということでしょう。(そもそも大学という機関がAI時代にどうなの、という議論は話がズレるのでここでは外します)

そして、その大学入学までの学習環境として、日本の学校のレベルは非常に高いと考えられています。

日本の高校、とりわけ進学校はものすごく競争しており、ある意味でPDCAサイクルが非常によく回っているのだ。だから、高校までの教育は、最初に述べたように単に難関大学にたくさん合格させるという、見方によっては貧しいとも言える目標設定ではあるのだが、結果として高校間に競争原理がよく働き、規律が生まれ、高い教育レベルが保たれている。

日本の高校は東大合格者数という指標で競争していて、筆者はこれをeスポーツのような知的競技と表現していますが、ともかく非常に明解でわかりやすい数値目標があるために、厳しい競争環境の中で高い教育レベルを維持することができています。(細かい話は本書に譲ります)

ということで、少なくとも高校までの間は、あまり細かいことをグダグダ考えずに、相対的に優れているであろう日本の教育システムに乗っかっていけばいいというのがここまでの結論になりますかね。

そして皮肉なことに、これとコインの裏表にあるのが日本の大学であると述べられています。20年前と今を比べると、東大合格ランキングの方は入れ替わりが激しいですが、東大を頂点とする大学の序列はまったくと言っていいほど変わっていません。大学の序列が変わらずあまり競争がないので、教育を改善するインセンティブに乏しく、大学教育が停滞しているというのが日本の現状ということです。

ということで次は大学選択についてです。

日本の大学か海外の大学か

日本の大学が停滞しているのであれば、日本の高校を出たあとは海外大学へ行くのがいいだろう、というのが素直なイメージだと思いますが、本書では必ずしもそうは言っていません。

非常に学費が高いアメリカの大学などでは、膨大な課題図書を読むことやレポート提出といった、かなり厳しい宿題が課せられ、大学生は大いに勉強させられる。また、就職も大学の成績で決まってくるため学生も必死だ。一方で、日本の大学は、基本的には放任である。
<中略>
ある意味で、アメリカの大学のほうが学生を管理が必要な子供扱いしていて、日本の大学のほうが自主性を重んじて大人扱いしている。<中略>学問に対してやる気のある学生にとっては、やる気のない学生が多ければ多いほど大学のインフラや教員を独り占めできて得ということになる。

「本人にやる気がある」ことが前提ですが、課題に追われるアメリカの大学よりも、日本の大学の方がリソースが使いやすく本格的な研究のスタートを早く切ることができるということです。さらに、勉強すべき内容から考えれば、日本の大学の方がコスパがいいという話になっています。

特に理系に関しては、次の章でくわしく述べるが、世界中のどこの大学でも勉強する教科書はほとんど同じで、修得すべき専門知識も世界共通なので、学費が非常に安い日本の大学はとてもコストパフォーマンスが良い。経済学などのしっかりと体系が確立されている社会科学も同様だ。

大学では専門的分野の内容を狭く深く学んでいくことになりますが、修士課程までは体系化された標準的な教科書があり、そのレベルの知識を身につけていくことがゴールになります。これは世界共通のもので、どこの国の大学へ入ろうが同じです。

ということで、同じ内容を安価に学べる日本の大学は非常にコストパフォーマンスがいいということでした。データサイエンスやAIなど、アメリカが最先端と考えられる分野は様相が異なるのかもしれませんが、そうでなければ日本の大学で学ぶという選択は悪くなさそうです。

一方で、大学院(特にPh.D・博士課程)に関してはここまでと違った見解になっています。

日本とアメリカなどの欧米諸国では、博士号についての扱いはとても異なり、ひとことで言えば日本では冷遇されている。冷遇されているから、博士課程に優秀な人があまり進まず、産業界でそれほど活躍しないのでさらに冷遇される、という悪い循環になっているように思う。ちなみに、欧米やシンガポール、香港、中国などでは理系分野や一部の文系分野の博士課程の学生は大学から給与を受け取っているのがふつうで、その点でも、自ら学費まで払わなくてはいけないことが多い日本では博士課程に優秀な学生が集まらないのは当然である。

日本では高学歴プアという言葉が一時期流行ったように、博士課程へ進んだあとの就職先に困るという話もよく耳にします。欧米では逆に学部卒ではいいポジションで雇ってもらえず、修士号を取ってからが就職活動の本番であるなど、学歴に対する考え方に大きな違いがあります。

日本では自ら学費を払う必要がある上に就職でもメリットがない(むしろ不利になる可能性がある)のに対し、欧米の場合は奨学金や給与を受け取るのが普通というのであれば、著者がそうであったように、博士課程を取るなら海外大学というのが合理的な選択と感じます。奨学金や給与のオファーを得るのはそんなに簡単なことではないというのもあるとは思いますが、博士課程に進むかどうかの判断基準を奨学金に委ねる(奨学金を貰えるレベルの研究でないなら撤退する)というのもひとつの考え方ではないかと思います。

もう一点、研究者以外の道についても書かれています。

日本は良くも悪くも、こういう大学院レベルの学位が要求されない、ある意味で低学歴社会である。これを逆手に取れば、日本はキャリアで大幅なショートカットができるということである。東京なら世界的な大企業がちゃんとしたポジションで22歳の実務経験がない学生を雇ってくれる。

これは確かにその通りで、外資系企業を見ると日本の学部卒が恵まれているのは感じます。MBAなどがなくても、若いうちに実務経験を積んでキャリアアップし高給を得るというのは、今の日本では割と現実的な路線のように思えます。

そのほか、医学部から医師免許を取得するのもコスパがいいとされていますが、この辺りは話がズレるので本書で確認してください。

いずれにせよ、日本の教育を受けて日本の大学へ進学するということが本書では割と肯定的に書かれているというのが、社会も教育も日本はオワコン・周回遅れみたいな一般イメージと違っていて面白いところかなと思います。

中学受験か高校受験か

中学受験を選ぶべきか、高校受験を選ぶべきかについても触れられています。これはこのサイトのテーマとしては外せないところなので書いておきます。

ここまで読んで、それでも親子で中学受験を楽しめそうだ、と思うなら中学受験に向いていると思う。きっと勝ち戦になるだろう。
<中略>
しかし、経済的事情などで、こうした中学受験は無理だと思うなら、迷うことなく高校受験を選んでほしい。わざわざ親子で金と時間と多大な労力をかけて負け戦に臨むことはない。

分量が多いので割愛しますが、中学受験の内容がどういうものか具体的な問題とともに記載されているので、ご存じない方は第4章を読んでみてください。ここで書かれていることが全てではないし、若干怪しいところもありますが、まあ大枠としてはイメージできるのではと思います。

そして第5章で書かれている通り、本書の結論として推奨されているのは高校受験です。その理由は、日本の公教育はレベルが高いので十分問題ない、無理して高いコスト(塾+学費で1000万円ほど)を払って私立中学を選ぶ必要はない、余裕があるならその分を海外短期留学に回した方が良い、という3点です。

ここで面白かったのは次の部分です。

ここから得られる結論は、約1000万円ぐらい余分にかければ偏差値が3程度は上がるかもしれない、ということだ。
<中略>
仮に大学受験の偏差値+3を1000万円出せば買えるとしたら、たとえば私大だとMARCHが上智ぐらいにはなる。上智が早慶ぐらいにはなるかもしれない。阪大が京大ぐらいにはなるだろう。東工大、一橋大、早慶上位学部に順当に受かる子供なら、偏差値3程度そこから上げることができたら、東大には十分にチャレンジできる。あるいは、同じ大学に行くにしても、浪人が現役になるかもしれない。つまり、この数字だけ見たら、約1000万円出せば、期待値では子供の大学がワンランク上がるかもしれない、というぐらいの相場観だ。

このデータの信頼性が高いとは全く思えませんが、感覚値としてそれほど外れている感じはしません。東大合格ランキングの栄枯盛衰を見ると明らかなように、学校の努力で合格力を上昇させられる範囲には限界があり、中長期での大きな流れは生徒の入学時の偏差値によって決まっているのが現実でしょう。そうでなければ(その学校の教育によって東大に入る学力をつけられるのなら)、名門校が凋落するという現象は基本的にはあり得ないことになります。

もちろん私立中高を選ぶ理由としては、学校の教育方針に共感するとか環境がいいとかハイレベルな友人ができるなど別の要素もあり、それは話がズレるのでここではしませんが、本書の観点からすれば、「そこに1000万円と多大な時間を投じる価値があるのか」ということだと思います。

ここは親としては冷静に客観的に見るべきところでしょうね。受験の渦中にいるとつい熱くなり、難関中高に入れれば難関大学へ行けるとか、難関大学へ行くためには難関中高へ入らなければなどと考えがちですが、実際は学校要素より個人の能力の方がはるかに大事だということだと思います。

もう一点だけ見ておきたいポイントがあります。

高校受験の数学はしょせんは中学1年から高校3年までの6年間で習う体系的な数学の中間地点でしかないからである。大学受験で数学を勉強した経験があるならば、難関高校の入試問題とはいえ、高校入試の数学は大学入試のそれを大幅に簡単にしたものに過ぎないのだ。
英語に関しても同じことが言えて、中学1年から高校3年まで6年間かけてすこしずつ語彙を増やし、すこしずつ読める文章のレベルを上げていく課程の中間地点である。

中学受験の算数は大学受験に直結しない独自の”競技”ですが、高校受験は大学受験の中間地点だというのが大きなポイントです。要は、高校受験は勉強したことがそのまま大学受験にまで繋がるので効率がいいという話です。

ただここにはひとつ大きな問題点があります。

筆者の肌感覚としては、中学3年間の学習量を①だとすると、高校3年間の学習量は軽く⑩は超える。高校受験で足止めされない中高一貫校の生徒たちは中学範囲を早く終えてしまい、多くの時間を高校範囲の学習に費やすことができる。

高校受験に関しては内申点の問題など色々ありますが、最大のネックはここかなと個人的には思います。高校受験は大学受験の中間地点とはいえ、真ん中ではなくむしろ入り口付近でしかないということです。難関大学を目指そうとすれば、高校3年間はほぼ全て勉強に捧げる、くらいの覚悟が今の大学受験には必要かもしれません。

ここについての処方箋も本書は示していて、それは小学校高学年から英語と数学を先取りしていくというものです。つまり学年に合わせた勉強ではなく、大学受験に照準を合わせて小学生から準備していくというプランです。これならむしろ中高一貫校よりも先取りしていることになり、勉強量も長期間で平準化できるので、確かに最もパフォーマンスが良くなるのではと感じます。高校受験は途中にありますが、同じ路線上でより高度な勉強をしているので、特に問題はないだろうという想定です。

あとは、中学受験をしないことで浮いた分のお金を短期留学に使おう、というのが本書の提言です。日本の受験ルートの最大の課題でもある英語力の問題は、早くから英語学習を進めたり短期留学をするなどの方法でカバーするとしています。具体的な手法は本書を参照していただきたいですが、先取りの話も合わせ、なかなか合理的な考え方ではないかと思います。

まとめ

以上、3つの観点で本書を見てきました。

最後に結論として、本書で推奨されている(コスパの良い)学歴取得ルートを書くとこんな感じです。

公立小学校 → 公立中学校 → 公立高校 → 日本の大学

って、一番フツーのルートじゃないかい!ってことですが、要はあれこれ雑音に惑わされず普通に進めばいいんじゃ!、というのが本書で言っていることだと理解しました。

ただその上で、今の世の中を考えたときの提言として、以下3点が挙げられています。

  • 英語と数学は先取りした方がいい
  • コストがかけられるなら短期留学をした方がいい
  • 博士課程は日本ではなく海外の方がいい

ということで、これにそのまま乗っかるかどうかはさておき、本書を読んで自分の家庭の教育方針はどうすべきかを、いま一度考えてみると良いのではと思います。

最後に

このサイトは中学受験をテーマに記事を書いているので、高校受験を勧めているこの本とズレるじゃないか、おまえはどうするんだ、という疑問も湧くかと思うので、最後にこれを踏まえて考えた我が家の方針について軽く触れておきます。(我が家にはこの先に中学受験学年を迎える弟がいます)

まずは、著者の勧める学習ルートを突き詰めて考えてみたいと思います。

小学校高学年から英語・数学の先取りを始めるとされていますが、これはつまり中学・高校と常に先取りしていくイメージになります。

この部分について、あえて極論として具体的なイメージを挙げると、高学年で鉄緑会に受かるための準備をし、試験を受けて中学から鉄緑会に入るとこれが実現します(鉄緑会というのは東大合格者を最も出している塾で、最も先取りが早いと言われている灘中高と同じペースで進むらしいです)。難関中高は鉄緑会の指定校になっていて無試験で入れますが、鉄緑会→東大を目指すなら、わざわざ中学受験という遠回りをしなくとも、最初から英語と数学を勉強して入塾試験を突破した方が早いでしょう。

別に鉄緑会でなくても良いと思いますが、似たような塾や講座を使って、大学受験を見据えた先取りを進めていくというのはひとつの有力な解になると思います。

ただここで懸念というか躊躇する要因になるのが、塾と学校のダブルスタンダードが常に発生するという点ですね。中学受験では当たり前に発生してしまっていますが(詳しくない方のために補足すると、塾で先取り学習をしてしまうために学校の授業が無意味に感じつまらなくなる、ひどい場合は学級崩壊の原因にもなっていること)、これが高校まで続くというのはいかがなものか、と思ってしまいます。最も生産性の高い昼間の時間帯が、無駄とは言わないまでも有益でなくなるのは、短期間ならまだしも小中高すべてで発生するのは、個人的にはあまり望ましいと思えないです。

それならいっそ時間を自由に使えそうなN中・N高とかに振ってしまうのもアリだと思いますが、果たしてそこまで踏み込むことができるかどうか。選択肢のひとつとしては十分検討に値しますし、セーフティネットとしても機能すると思いますが、積極的に選ぶにはちょっと勇気がいります。

まあ英語と数学だけなのでそこまで深刻に考える必要もないのかもしれませんが、一周まわった我が家の結論は、やっぱり中学受験する、ということになりそうです。理由を改めてまとめると次の3点です。

1. 中学受験の内容と親サポートが楽しかった

本書でも中学受験はダビスタだという表現がありましたが、親子で作戦を考えて受験を突破するというのが非常に楽しかったというのがあります。手のかけ過ぎやムチの入れ過ぎは御法度だと思いますが、適度な距離感で一緒に走ることができれば、子育ての醍醐味のひとつになると経験から思いました。

2. コストをかけない中学受験のやり方もある

私立中高の学費はどうしようもないですが(ただし高校無償化政策があるので救済措置はある)、受験勉強に関しては塾通いが絶対とは私は思いません。確かに”塾カリキュラム”が必須というのは同意しますが、通信教育や動画教材等を使って費用を抑えた中学受験をする道はありましたし、これが我が家だけの特殊な例とも思えません。まあどんな本でも誰に聞いても中学受験で塾は必須と言われているので、どこまでの人に当てはまるか自信は持てませんが。塾なし中学受験の道についてはいずれまとめてみたいと思います。

3. 学校と塾のダブルスタンダードは好きじゃない

やはり一日の大半を過ごす学校という環境を有意義に使ってほしいと思います。もう少し世の中が進んで、一斉授業というものがなくなってくれれば少し見方が変わる気がしますが、現段階では学校の授業を学習のメインとして大学受験までいくことを考えると、やっぱり中高一貫校かなぁと思います。兄を見ていて楽しそうだなというのもありますし。

という感じで、他の選択肢も頭には置きつつ、とりあえず中学受験に向けた学習はスタートさせると思います。大学には繋がらない特殊な競技と表現されている中学受験算数ですが、個人的には頭の体操のような感じで割と好きです。非常にハイレベルな知育教材だと思って、ひとつ解けるとひとつ頭が良くなる、くらいに思ったり、子供と競い合ったりして楽しくやるというのもアリなんじゃないかと思います。

まあそんな簡単な話でないことは重々承知ですが、中学受験に関しては、合わなければ撤退できるのが良さでもあるので、考えてみる価値はあるんじゃないかなと思います。ただ、一緒に走る覚悟というか、この3年間は子供に時間を割く期間だと決めておくことは必要な気がするので、それができる人の方がいいでしょうね。あと、高いコストをかけてしまった後だと撤退しづらくなる点は要注意です。

中学受験以降に関しては、本書の内容を大いに参考にさせてもらおうと思います。

以上、ご家庭の教育方針について改めて考える機会になればと思います。

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