小学生の英語教育はどうする?

小学生の英語教育 動画・書籍レビュー

1ヶ月近く前の記事ですが、小学校での英語授業を否定する記事が出ていました。既に英語が正式教科となり、教育産業も盛り上がってきている感じですが、実際に効果はどうなのか、そもそも英語教育をどう選択していくべきかは親として気になるところです。

また中学受験では英語入試はまだ主流とは言えないので、中学受験と英語学習のどっちを取るのか、もしくは両方やるのかなどもひとつの悩みどころかと思います。

ということで記事の紹介とともに、子供への英語教育について考えてみたいと思います。

[AD]

小学生に英語授業は間違っている?

掲題の記事はこちらです。

「小学生に英語授業」は間違っている? 学力テストで英語の成績は低下、「話す技能」は6割以上が0点(デイリー新潮) - Yahoo!ニュース
こんな皮肉はあるまい。国が総力を挙げて子どもたちの「英語力」を上げようとした結果、逆に学力テストでの英語の成績は下がってしまったのだ。何かが根本的かつ決定的に間違っている。そもそも小学生に英語を教

ポイントを簡単にまとめると次の3点かと思います。

英語嫌いが増えている

筆者は、異言語間コミュニケーションにはその文化の理解が必要で、英語であれば英語に興味を持ち、英語圏の文化を理解したいという思いが欠かせないとしています。その上で次のように述べています。

小学生に週2時間程度の英語を教えても、英語を学ばなかった子との差は中学生になるとなくなってしまいます。まして異文化理解が深まる年齢ではありません。それどころか、むしろ表層的に英単語を教え込むことで、「英語嫌い」を増やしてしまう恐れがあります

中学生になってからの差については後で考えますが、英語に興味を持つ・英語好きになるというのは重要な要素だと思います。フィリピンやインドなど英語が公用語でどうしても習得しなければ生きていけない国であれば別ですが、日本語で日常生活が送れ仕事も(現状では)何とかなっている、ある意味で恵まれた国(現状では)と言える日本では、英語勉強のモチベーションをどう作るかは非常に重要な要素だろうと思います。

実際、小学校の英語を教科化した弊害は数字としても表れています。文科省の調査では、「英語の学習が好きではない」と答えた小学6年生の割合は、13年度は23.7%でしたが、教科化後の21年度は31.5%と、約8ポイントも増えています

2020年度から小学校5・6年生で英語が教科化され、成績もつくようになりました。その結果、英語が好きではないと答えた子供が約8%増え、全体の1/3にもなったとのことです。コロナ禍で授業が制限されたことの影響もある気がするので、原因が教科化だけなのかは判断できませんが、少なくとも英語が好きではない子が増えているというのは事実のようです。

ちなみに我が家の息子も、6年生の卒業時に「ぼく英語苦手」と言っていて衝撃を受けたので(大した勉強もしていないはずなのに苦手意識が植え付けられていたということで)、我が家的には教科化されたことは完全にマイナスだったと言えます。

学力テストの成績が下がっている

今年行われた中学3年生の全国学力テストがひどい結果だったようです。4年前(カッコ内)と比較した結果が次の通りです。

聞く 58.9%(68.3%)
読む 51.7%(56.2%)
書く 24.1%(46.4%)
話す 12.4%(30.8%)

全項目で下がっていて、特に「書く」「話す」が壊滅的な結果になっています。特に「話す」はゼロ点が6割にも達したとのことでした。

4年前とは問題が違うと思うので単純比較はできないでしょうが、通常5〜6割の平均点を目指すとすれば、そもそも難易度の設定が間違っていた、つまり文科省の想定と実態がかけ離れていたとは言えると思います。

しかし、それを認めず、理想に到達できていない生徒や指導が悪いという方向に話が進もうとしている。これでは、大和魂が足りないからB29を撃ち落とせないんだと言っているに等しい。これぞまさに、大本営発表で事実を隠し、主観的願望で無謀な作戦を強いる軍参謀そのものです。

大和魂云々は置いておいて、さすがにここまでズレてしまうと、筆者の指摘する通り生徒や指導の問題ではなく、根本的に方向性が間違っていたと振り返る方が自然じゃないでしょうか。

なぜ下がったのか

英語力向上のため、中学校からだった英語教育を小学校に繰り下げたわけですが、結果として学力テストの成績は上がっていないようです。その原因について筆者は次のように述べています。

20年度までは、中学校卒業時までに覚える英単語は約1200語でした。ところがそれ以降は、小学校で600~700の英単語を覚え、中学校では1600~1800の英単語を覚えなければいけなくなりました。中学卒業時点で比較すると、1200から最大で2500へと、覚える英単語は倍増している。

ちょっと引っかかるのは、中3時点で習得しているべき単語数が1200語→2500語へと増えているということは、テストの内容自体も難しくなっている可能性が高く、だとすれば点が下がったのは必然とも思えます。むしろ難易度の向上に対してよくできていると解釈することもできるかもしれません。

どちらにしても、テストの難易度が変わっている可能性があり、そこへの言及がない限りは本当に学力が下がっているのかどうかは今回の学力テストでは判断できないことになりますね。その点は、この手の記事を読むときに気を付けた方がよさそうです。

覚えるべき単語数が増えたことに対する良し悪しはこれだけでは判断できないので、ここでは割愛します。

小学生に英語教育は必要か

以上が記事から読み取れる筆者の主張でした。ここからは私の主観を書いていきます。

格差は拡大する

記事にもありましたが、週2時間程度の授業や塾通いでは大して英語ができるようになるわけがないというのは、何年勉強しても英語が話せるようにならなかった大人なら十分に理解できると思います。じゃあなぜ文科省は小学校に英語授業を導入したのか、それは小学生のうちに先に簡単な英会話を身に付けておくことで、中学から始まる本格的な勉強の土台になると考えたからのようです。

小学校でどんな英語学習をするかについては次のサイトがまとまっていると思うのでご参考まで。

小学校英語では文法を教えないってホント?
2020年度に全面実施された小学校の学習指導要領では、小学5・6年生が英語を「教科」として学ぶことになり、これまで小学5・6年生で行われていた「外国語活動」は、小学3・4年生で必修化されることになりました。「外国語活動」と教科の「外国語(英...

狙いや理想は理解できますが、ただ結果から見れば、学習の土台づくりよりも、英語に対するアレルギーを増強する方に強く作用してしまったと考えるべきではないでしょうか。

英語に関しては家庭環境による個人差が激しく、親がネイティブ(レベル)だったり幼少期の教育などにより、小学生でも英会話ができる子は一定数います。で、そういう出来る子がいる中へ我が家のように無策のまま突入すると、一緒に授業を受けるだけで「自分はできない側の人間だ」と認識してしまう可能性が高くなります。その科目を得意と感じるかは、その集団の中で相対的にできるかできないかという感覚によるところが大きいので、小学校で英語をスタートする多くの子は劣等感を持ち、それが苦手意識や嫌いという感覚になっていってしまったのではないかと私は感じます。

この中で少しでも優位に立とうと思えば早くから英語教育にお金と時間をかけるしかなくなってきますが、小学生でも英検3級や準2級を取ったという話を聞くことももはや珍しくないので、やるならそんなレベル感でガッツリ早期教育しないとあまり意味はないでしょう。

兄の低学年時と今とで明らかな違いを感じるのは、英語教室や英語教材の活況です。やはり小学校で必修化されたことは大きいらしく、教育業界としては大きなビジネスチャンスなんでしょう。個人的には小学校では「外国語活動」で楽しい経験をする程度に留めておいてくれた方が良かったと思うのですが、もはや世の中が動き出してしまったのでこの流れは止められないと思います。

結局、教科にしたことでこの優勝劣敗がつきやすく、一部の出来る子とそれ以外の子の格差が大きくなり、低学年化した分だけ挽回もしづらくなってくるのではないか(モチベーションの面で)というのが私の感想です。

どの段階がベストなのか

こうなると小学校での学習スタート前に準備するしかない感じがしますが、我が家のように親が家庭で話せない状況では効率が良くないように思えます。

親に英語力があって家庭で会話できるなら、幼少期からやることで明らかに伸ばすことができるでしょう。でも週1〜2時間の教室で習う程度のレベル感なら、中学からでも簡単に逆転できてしまうと思います。結局、この辺りは親がどれだけ関与できるかで決まってくるものかなと思います。

であればもう中学からでいい気がしますが、ほぼ全員が中学からのゼロスタートだった我々の時代とは違う世界になってしまったので、中学スタートでは出遅れ組になってしまい、果たして英語に前向きになれるかどうか微妙になっているのが今の状況でしょう。

兄を見ていると、私立中学は(帰国子女を除き)現時点ではゼロに近いところからスタートしているっぽく、真面目にやっていれば英語の成績は取れている感じです。ただ、成績は悪くないのに英語(主にスピーキング)に対する苦手意識は相変わらず強いようで、ここはあまり上手くいっていません。

ここから考えるのは、技能は中学からでも何とかなるが、モチベーションは難しいかも(相対的に自分より出来る人が多いので)ということでしょうか。後者の方がより重要な気はしますが、今のところ策は見つかっていません。

ちなみに年齢の話だと、10歳までに英語耳?英語脳?を作った方がいいというのを聞きますが、これについては個人的にはどっちでもいいんじゃないかと思います。英語は世界共通のコミュニケーションツールというところに価値があって、だから勉強しないといけないわけで、別にネイティブと対等に会話できることが最重要なわけではないでしょう(そこが重要と思う人はやればいいだけの話)。インドを含めブロークン英語でも十分渡り合っている人は多いというか、むしろそっちの方が主流になるので、日本人英語でも堂々とコミュニケーションすればいいだけだと思います。(って日本人にはそれが一番難しいんですが)

小学生は英語より日本語じゃないか

最後は中学受験の話です。兄で中学受験をやって実感したことのひとつは、国語力の問題でした。国語のテストで点が取れないという直接的なものもありますが、サポートしながら実感したのは、びっくりするくらい言葉や物事を知らないという事実です。(我が家の例では、野球もしっかり見たことがなかったのでピッチャーやバッターから解説しないといけない始末でした)

いや、冷静になって考えれば当たり前のことですが、相手は所詮10年程度しか生きていない子供で、記憶もたかだか数年、その間に触れたことがある情報しか頭にないので、我々大人とは知識レベルが違って当然ではあります。同じように日本語をしゃべっているので意識はしづらいですが、日本語のレベル感だって相当怪しいです。

知識量より考える力が大事と最近よく言われますが、思考のベースは言語です(一部のパズル的思考力を除き)。英語で思考するなら英語を徹底的に鍛えるべきですが、日本語で思考するならまずは日本語レベルを上げることが必要です。最初に挙げた記事にもありますが、言語はその国の文化を表し、その国に住む人の思考を反映します。(例えばキノコを例に挙げると、日本語には椎茸、舞茸、しめじ、なめこなどがあり、これらは英語ではShiitake Mushroom、Maitake Mushroomなどそのまんまで呼ばれますが、逆に日本発祥ではないポルチーニやトリュフなどはその国での名前がついています。名前がつくことで人はそれを固有のものとして認識し、考えることができるようになるようです。)

考える力を伸ばしたいなら、言語力を上げることは必須ではないかと思います。幼少期に英語を勉強することのデメリットがあるとすればここかなと思います。日本語も英語も中途半端になるくらいなら、まず日本語を鍛え上げる方を私は選びたいです。

中学受験国語はその教材として非常に良かったと思っています。特に過去問の国語は大人が読んでもためになりそうな話題が多く、こういう文章をたくさん読んで教養を高めてほしいと感じるものでした。受験勉強を始めた4年生のときはこんなことも知らないのかと愕然とした我が子ですが、受験を終えたあとは逆にこんなことも知っているのかと驚くほどの進化を遂げていました。これだけでも中学受験をやった価値があったと個人的には感じています。

というわけで、色々書いてきましたが我が家の結論は兄の時と変わらず、弟についてもまずは国語(日本語)を伸ばす方に全振りすることになりそうです(これは我が家の環境では英語より日本語に賭けた方が可能性を伸ばせるだろうという判断)。この判断が子供の人生にどう影響するのかは大人になるまでわからないと思いますが、まあ信じて突き進むしかないでしょう。

どこに共感されるかは人それぞれだと思いますが、ここで書いたことが教育方針を考えていく上での材料のひとつにでもになればと思います。

コメント