ChatGPTに教育はどう向き合うべきか

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4人の子供全員を東大理Ⅲに合格させ教育界のカリスマとなっている佐藤ママが、NewsPicksの討論番組で行った「12歳まではChatGPTは完全隔離してほしい」「タブレットは全部捨ててほしい」という発言に、ホリエモン・茂木・ひろゆきの3氏が噛みついて炎上している(いた)件について、ちょっと乗っかって書いてみます。

もう2週間以上も前のネタで時期を逸している感も否めませんが、生成AIに関しては今後の教育を考える上で無視できないネタでちょうどいい機会なんで、タブレットの件も合わせて思うところを吐き出しておきます。

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騒動の発端となった動画

こちらです。まだ見ていない方はどうぞ。

内容はChatGPTと教育の今後についての討論番組で、この中で佐藤ママの発言は一部分だけなんですが、タイトルやサムネを見て分かる通り、佐藤ママの衝撃的な発言を使ってユーザーを釣ろうとする意図も感じる動画です(まあ私も見事に釣られていますが)。

実はNewsPicks内でのタイトルは「ChatGPTは教育の敵か、味方か?」ということで、教育とChatGPTに関して色々考えさせてもらえる良い番組だと思うのですが、YouTube用に釣りやすいところだけ切り出しているので、この発言の部分にだけフォーカスが当たってしまってもったいないなという思いの方が強いです。

とはいえ、とりあえずこれを消化しないことには先に進めないので、一旦佐藤ママの発言を抜き出してみます。

  • 普通の教育を受けてきた大人がChatGPTを使うことについては何ら問題がない
  • 今から教育を受ける子供に触れさせるものがChatGPTが作った文章ばかりというのは良くない
  • 教育で使うなら12歳まで・中高・大学・一般人とで分けないとダメだ
  • (ChatGPTについては)12歳までは完全隔離にしてほしい、アナログで育てるべき、タブレットなんか全部捨ててほしい

ちなみに有料版の方で話されていますが(有料版の内容にはここでは触れません)、佐藤ママも番組前に1ヶ月程度触って楽しんだ上での発言だ、ということで、あまり使ってもいない状態でただ怖がっているわけではない、ということだけは付け加えておきます。

で、ネットを見ると太字の部分を拾って騒がれている、という状況ですね。

このあと動画内で、これに対する宮田裕章氏のこんな発言があります。

  • 小・中(高)と大学が別物になる理由は、大学入試の存在である。今の日本や韓国の大学入試で高得点を取る能力を育むのであればChatGPTは敵になる。でもその入試で本当にいいんですかと。
  • これ以前にGoogle検索時代があって、日本の教育はそれを締め出した。でも仕事の場では、(検索などのアシストなしに)個人としてスタンドアローンの能力だけで勝負している場面はかなり少ない。

ということで、現行の大学受験へ対応するためには佐藤ママの言っていることは正論だけど、そもそも今の大学入試自体どうなの?(古いのでは?)ということで動画が終わっています。この対立軸だけピックアップされているんで、佐藤ママが過去の教育にしがみつく古い時代の人、みたいな見え方で終わっている感じがあります。

これに対して3人の有名人が反応

3人の有名人がこれに対してTwitterで反応しました。そこについてはYahooニュースのリンク先がまとまっているのでそれを貼っておきます。

「タブレットなんて全部捨ててほしい」で炎上した佐藤ママ、堀江貴文の批判に「読む気がなくなりました」(週刊女性PRIME)- Yahoo!ニュース

佐藤ママの炎上騒ぎではありますが一方的に叩かれているわけでもなく、ホリエモンの言い方の問題もあって、攻撃派と擁護派とに分かれて盛り上がっている、といった感じですかね。

ちなみにこの続きの動画がありますが、こっちは特に盛り上がっていませんでした。

この騒ぎ方の違いを見ても、まあ話題になるためには振り切った発言が必要なんだよなという、ちょっと違う方向の現実が垣間見えます。

佐藤ママにしても、それに反応しているお三方にしても、まあ両極に立って言い切り型で発言する方々なんで、対立軸がわかりやすくなってメディアが取り上げやすいんだろうな、という感じではあります。

ここまでのまとめ

話がズレたんで、一旦対立軸をまとめるとこんな感じでしょうか。

佐藤ママ:
– 発達段階に応じてツールを変えるべき
– 12歳まではアナログで教育すべき、タブレットも不要

反佐藤ママ:
– 旧来型の教育に固執すべきではない

まあこんな感じですが、後者の側は単に個人を誹謗中傷しているだけとも言えます。こう使っていけばいいという発言もこの流れの中にはないんで、そこを掘っていっても仕方ないかなという気がします。

生成AIにどう向き合っていくのか

炎上騒ぎについてはこんなところでお茶を濁し、ここからは問いの本題となっている、子供の教育の面で生成AIとどう向き合っていくのかについて考えてみたいと思います。

巷では色んな意見が飛び交っているとは思いますが、今回、アナログが一番!という極論を振ってもらったおかげで、この問いに対する意見を考えやすくなった感はあると思います。

大学教育は変わるのか

ちなみに動画内で中室牧子さん(慶應義塾大学教授)はこう発言されています。

  • 教育ではChatGPTを使うか使わないかという議論をしているが、労働市場の方では(議論の余地なく)使って生産性を高めようとしている、そして労働市場と教育は密接に関わっているのだからそれに応じて教育は変わらざるを得ない
  • 大学教育において、教員側の知識がアドバンスのときには学生を管理する方向であったが、今は教員と学生の知識(習熟度)が完全に並んでいる中で、大学側が管理するのはおかしい
  • 教員がこれまでよく出していた、論文を要約せよという宿題はもう出せなくなった、評価の方法を変えざるを得ない

ここでは大学教育について話しているので、初等・中等教育に焦点を当てている佐藤ママの話とはちょっと論点は違いますが、大学教育が大きな転換期を迎える、というのは大きいと思います。大学が学生との向き合い方や学生に求めるものが変わるのであれば、我が子たちが直面する大学受験で求められるものも変わってきて然るべきでしょう。あとはその変革のスピードの問題だけだと思います。

今回の生成AIの衝撃が大きいのは、ホワイトカラー層の仕事を直撃するイノベーションだからだと言われていて、そこへ人材を排出する大学はその面からも影響を受けることになります。(デジタル化とかDX化とか言われながらも実際は大して効率化されなかった仕事環境が、一気に変わっていく可能性を秘めているといわれます。わかりやすいところでは、情報共有だけの無駄な会議出席とか議事録書きとか、社内資料作成のようなものはAIによって不要になるでしょう。そうなると、ホワイトカラーの仕事の結構な部分がなくなってもおかしくないですね。)

大学でどういう変化が起こるのか、具体的な変革の方向性は社会の変わり方を見てからにはなると思うので、いますぐどうこういう話ではないかもしれませんが、何十年も変わらなかった大学教育・大学受験のシステムが変わるきっかけにはなりそうです。今の骨抜きになった大学入試改革よりは大きな変更が、人為的にではなく自然発生的に起きてくる感じがします。

まあ変われる大学とそうでない大学とに分かれるのかもしれませんが。

学習環境へ取り入れるべきか

もう少し直接的な、学習環境へ取り入れるべきか否かについて考えてみます。

動画の中で大柴行人さん(AIセキュリティ会社経営)はこう言っています。

  • 個々の生徒が対話をしながら学習を進めていったり、英語で会話をやり取りするといった、これまでの義務教育ではできなかった教育スタイルが可能になる
  • ChatGPTがウソをつく可能性がある点には注意

インタフェースが自然言語というのがChatGPTの特徴なんで、わからないことを調べるときのハードルは今までよりグッと下がりそうです。また、会話形式という特性を活かせば、国語力(会話力)や英語力を伸ばす学習にはメリットが大きそうな気がします。

ChatGPTにはAPIがあるし、今後は色々な特化型AIというのも出てくるっぽいので、別にChatGPTにユーザー登録して自ら使おうとしなくても、学習アプリに搭載されてきて知らないうちに使っている、という状態になるのも時間の問題でしょう。

そういう意味では、使うとか使わないとかいう議論自体がそもそも無意味な気がします。

タブレット禁止はどうなの?

学習環境がデジタル化すれば勝手に使うことにはなりそうなので、そもそも12歳未満をタブレット禁止にすべきという話について考えてみます。

佐藤ママのその後のフォローも含めて、理由をまとめるとこんな感じでしょう。

  • 紙と鉛筆のアナログ感覚を持たせることが大事
  • 12歳未満の子供の目は未熟なので視力が悪くなる

1点目は単に読むとか書くとかだけではなく、五感を鍛えるという意味のようです。ただそこは、必ずしも机に向かう勉強で担保すべき領域でもないような気がします。外で遊んだり自然に触れる体験を増やした方がよっぽどいいでしょう。

読み・書きのアナログ感覚というだけの話なら、ここは急速にデジタル化し進化もしている分野なんで、紙と鉛筆の優位性は年を追うごとになくなっていると思います。筆圧を学ぶことが必要とかいう話は、漫画家などそういう能力が必要な人が既にタッチペンで仕事をしているんで、説得力がないですね。

下の息子(小2)がやっているチャレンジタッチを見ていると、画面の解像度も良くなり文字入力もストレスなくできているので、紙の方が良かったと思うことは特にありません。そしてそんなことよりも、文章を読み上げてくれたり、動きを加えながら解説をしてくれたり、その場でマル付けをして解き直しを促してくれたりという、従来であれば親が横に張り付いてやらなければいけなかった作業を代わりにやってくれるという、圧倒的なメリットがあります。

佐藤ママスタイルで細かく子供をみてあげたいという考え方を否定する気は別にありませんが、それはひとつのやり方でしかないというのは思いますね。デジタルを排除することで失うものにも目を向けた方がいいのではないかと感じます。

受験勉強も、ここ数年でデジタル化は一気に進んでいるので、それを活かせば他の人と違ったやり方でも十分に戦える学習環境は整いつつあります。そういう意味で、もう少し柔軟に考えた方がメリットは大きいと思います。

2点目についてはその通りですが、夢中になって目を酷使するという意味で、目に良くないのはゲームや動画の方ですよね。ここは時間制限をかけながら上手く付き合っていくしかないとは思います。

ちなみにYouTubeなどの動画については、こちらも排除することで失うものを考えてみるべきかなと思います。例えば将来、動画コンテンツを作りたいと思ったときに、見ている量が他の人より少なければまるでセンスのない動画を作ることになるかもしれないですね。(実は我が家でまさにこの制限をやってきて、ちょっと間違えたかなと思っているところです)

詰め込み教育の是非

最後に、何かと批判の的になる詰め込み教育にも少し触れておきたいです。

ネットで調べれば何でもわかる時代に、知識を知っていることは何の価値もない、AIに聞けばいい、ということで、国の教育方針も知識の詰め込み教育からの脱却を図る方向に動いています。

ただこの考え、AIの進化の過程を見ると実は逆なんじゃないかと感じます。

ChatGPTの進化について詳しくは知りませんが、ざっくり言うとGPT2からGPT3へのバージョンアップで大量の文章を読ませたところ、研究者の想像を超える進化をみせ一気に人間に近づいた、ということのようです。たくさんの文章に触れたことで点と点が繋がって確変した、みたいな感じですかね。

これって人間の能力でも同じことが言えるんじゃないでしょうか。思考力が大事とか言われますが、知識のない状態で考えられることなんてたかがしれています。知識と知識が繋がって理解が深まることでさらに深い思考ができる、という考えの方がしっくりきます。

そういう意味で、子供時代に色々なものに触れ幅広く知識を蓄えるというのは必要なことだろうし、今の現実からすれば受験をそのツールにするのも(最善ではなくても)ありじゃないかと思います。学年で一律に区切った現行の教育システムが良いとは全く思わないですが、学ぶ内容については言うほど悪くないんじゃないかと思ったりもします。

さいごに

ということで、最後の方はだいぶ話がズレていってしまいましたが、たまには自分の思いを吐き出してみようかと、動画の件から思ったことを書いてみました。

色々考えてみるきっかけにでもなればと思います。

【追記】ひろゆきvsサトママというタイトルの追加動画について

この記事を公開したすぐ後に、元の動画を踏まえた動画がNewsPicksから公開されました。

「佐藤ママ×茂木健一郎×ひろゆき」という構図での討論番組です。非難合戦になりそうな布陣で気乗りしないなと思いながらも、記事を書いてしまったのでフォローアップのために見ました。残念ですが討論にもなっていないお粗末な構成で、ひろゆき氏以外にきちんと考えている人もいない状態で、ぶっちゃけ視聴時間がもったいないので別におすすめしません。リンクするのもやめました。

ひろゆき氏の論点だけ挙げておきます。

  • ChatGPT(タブレットも)は弱者のためのツール、教育にお金をかけられない人でもAIを先生にしてスキルを伸ばすことができる社会になるかもしれない
  • 早くからAIを使って得意だと思う子が出てくると、そういう子が社会をどんどん発展させる可能性がある

少しでも我が子に良い教育をと願うほどに、湯水のようにお金を吸い取られていくような現代の教育システムに対するひとつの希望、と言ったら言い過ぎかもしれませんがそんな感じです。今回の話の中で、聞いて意味があったのはこの部分だけだったと思います。

あとは討論番組というのは出演者のリテラシーというか能力(?)の高さで価値が全然変わってくるんだなというのを感じました。今回のChatGPTというか対話型AIについて、深く真面目に考えているのがひろゆき氏1人というのでは議論になりません。まあ茂木氏まで論理立てて議論できる人だったとすると、佐藤ママが2対1で詰められるという辛い構図になったと思うので、まあそれよりはマシだったのかもしれません。

佐藤ママについては別に全否定するつもりもないですが、子育てを実践した先輩として、近所のママ、もしくはこういうブログで発信されているような過去のいち成功事例と思って、実際に実行された話で良かったと思える点を取り入れればいいというだけだと思います。(茂木氏についてはもはやコメントする気も起きません)

図らずも、上で書いたような「知識があることで深い思考ができる」というのを目の当たりにした感はあります。知っていることが少なければ上っ面の浅い話しかできないし、AI時代だからこそ効率よく色々な情報を入れた上で、考えることに時間を割くという姿勢が必要な気がします。

(このサイトではあまり批判的なことは書かないようにしようと思っていますが、今回は感情的なものもあってマイナスな文章になってしまいました。お目汚しすみません。)

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